新しくオープンしたグループホーム風の丘たかき
お陰様で満床になりつつあります。
今日は入居者第1号のお二人をご紹介します。
はるさんときよさん。
夕食の後いつもならソファにお二人並んで就寝までテレビ。
しかし、今夜は違いました。テーブルに置かれた折り紙、ジグソーパズルに向かいます。
私は何にも言ってはいない。
それぞれご自分から、お二人向かい合って座りそれぞれ折り紙にジグソーパズルを手にしました。
時刻は19時00分過ぎ。就寝は21時。
集中が途切れることなく真剣な眼差し。
私は全く介入なし。言った言葉と言えば
「なかなか見つからんね~」
「いったい何ができるんだろう?」
お二人とも
「下手くそだけんうまくいかんちゃん」
「よーしたことなかとですよ、なんのでくっとかわからん、のりのいるねー」
と、私はのりを差し出す。
謙遜いっぱいな言葉とは裏腹に真剣で自信ある手の運び。
これまでも繰り返し私たちは「黒子」であるとブログに書いて来ました。
何をしようとも主役は入居者、利用者であること。
取り組みの目的はスタッフの業務遂行であってはならないこと。
21時を回る頃お二人ともに居室へ。
朝までぐっすりお休みになりました。
私が担当する在宅の利用者様がリハビリを経てご自宅に帰ることになりました。
四肢麻痺のところに大腿部頸部骨折、術後「スーパー理学療法士でもいないと歩けるようにはならない」そう言われ老人保健施設施設へ。
ご本人様に取っては物足りないリハビリだったようですが、歩けるようになり自宅生活復帰です。
「家に帰ったら何をしたいですか?」と私が質問。
すると帰えってきた言葉は
「したいこと、たくさんある❗」
奥様に伝えると
「ここの段差やろー」
そう、わずか数ミリですが部屋と部屋の間の桟の段差、越えるには歩行器をちょっと強く押さないといけない。
既成のスロープでは段差が小さすぎる。
心得た奥様は段差解消にピッタリの板を持って来られました。ご本人様も納得。
歩けるとは言ってもやっとのこと。
自宅での転倒は必至。
お盆前の家屋チェックで理学療法士にお願いをひとつ。
自宅で1人の時、床に倒れても自分で起き上がれるようになる。
意地悪な宿題はきっちり完了されていました。
もちろんやってみせてくれました。
何度も練習したんだろうなぁ、と思わせる理学療法士の声掛けに手順よく立ち上がりベッドへ。
残存能力と私たちが呼ぶ残された能力。
時にそれは私たちを驚かせることがあります。
しかしそれは奇跡とかまぐれではなく、また残された能力でもない。ご本人がそもそも持ち合わせるものであり、様々な障害で発揮できないだけ。
認知症をはじめとする障害や疾患、後遺症は本来の姿を隠してしまいます。
たとえ認知症になっても、重い後遺症にみまわれても持ち合わせの能力と意志が人生最期まで発揮できるよう私たちは支援をしなくてはいけないと思うのです。
ひとりひとりが主役になる。
黙々とジグソーパズルや折り紙に取り組む姿は与えられた課題やレクリエーションでは見せない自律した表情でした。
いかに自ら「やりたい」そう思い取り組むことが大事か。
在宅に戻るHさん、ご病気をするまではたくさんの趣味、やりたいことをたくさんやってきた方でした。
障害があってもなおやりたいことがある、諦めない心に感服。
それを言葉少なく支える奥様の姿に私たち介護スタッフのあるべき姿を見たような気がします。
奥様は一言「うちは放任主義だから」
放任主義‥‥互いの信頼関係と愛情があるから成り立つと私は思います。
サービス提供方針
‥‥私たちの笑顔や声掛けのひとつひとつが、その対価をいただいている大切な責任のあるサービスであることを常に忘れずサービスを提供します。
‥‥私たちが提供する介護サービスだけでなく、日常のちょっとした生活の支援それぞれに目的があり、そして意味があることを常に忘れずにサービスを提供します。
必要以上の介入は単なるお節介もしくはスタッフ主導の管理業務でしかない。
難しいですね~。しかし、単なる事務的、業務遂行の介入‥‥わかります。もちろん入居者様にも伝わってますね。ちゃんと入居者様は反応されてる。
日々の積み重ねは必ず結果にでる。そう私は信じてます。
本人主体と放任主義。任せてもらえる、任せられる信頼関係とその根拠を積み重ねて行きたいと思います。