去る11月17日風の丘の運営推進会議を開催した。
法川自治会会長、ご家族、社長をはじめスタッフ、それから入居者様代表にツヨシ様。
ツヨシ様の運営推進会議出席はご家族の希望もあった。
最初に参加者全員に自己紹介をいて頂いた。
ツヨシ様はご自分の思いを話してくださった。
・・・両親がどこにいて、どうしているのか?・・・
・・・妻がいるところは島原の向こうあたりとわかったが・・・
僕にはやることがあるんだ、絵も描かねばならない、彫刻(彫塑)もしないといけない・・・
・・・どうしてここにいるのか?・・・
・・・夜も眠れない・・・
・・・ゴミのように捨てられて・・・
わからない、わからないことばかりで・・・
今日もここに来たが何故来たのかわからない・・・
ツヨシさんの言葉は参加されていたご家族には辛い言葉だったに違いない。
私はわかっていたつもりだった。
認知症を抱える方々は常にわからない世界で不安を抱え生活していること。
私はわかっているつもりだった。
だから私たち支援者がいること。
ツヨシ様はいつも私たちを手伝ってくださる。
しかし、スタッフは「在宅と同じように生活活動をさせる」ことが仕事と思っている。
更には評価されるのは入居者でなくさせたスタッフなのだ。
ツヨシさんはいつも気遣ってくたさる。
まだ休まないの?
夜勤だからお仕事です。
大変ねぇ。お疲れ様!
机に突っ伏して少し寝たらいい。
あんたが来たらパット明るくなる。
あんたの顔見たらホットする。
手伝うことないねぇ?
大丈夫ねぇ?
頑張るねぇ。
無理したらいかんよー。
ツヨシさんが来られてからたくさんの言葉を頂いた。
私は間違っちゃいけないと改めて考える。
実は支えられているのは私であり、支えてくださっているのは入居者であること。
自分の入りたい施設を目指す‥‥
とんでもない奢りであること。
プロフェッショナルとは‥‥
自分の弱さを認めながら逃げない
そのために求められるものが
支えようとする私こそ、実は1番支えを必要としている
それを自覚した人がプロだと思います。
小澤先生の言葉を思いだす。
ゴミのように捨てられて‥‥ツヨシさんは皆さんの気持ちを代弁してくださった。
私たちの置かれた介護保険と言う環境、戦後経済大国を目指した日本と言う土壌において「福祉」を目指すことはこれが限界と感じる。
ツヨシさん、ありがとうございます。
そしてごめんなさい。あなたの不安を支えるべき私は実は支えて頂いていること、不安を取り除くどころか不安を募らせていること。
イチエさんは毎日毎日
どうすると?
これはなに?
どこにいたらいい?
繰り返し不安の言葉を言われる。
私ができることと言えば
今日もいっぱい頭を使ったね。
心配で頭がいっぱいやったね。
疲れたよね。
大丈夫、一緒にいるから不安いっぱいは知ってるからね。
一緒にゆっくり休もう。休んだらスッキリするから。
大丈夫だから‥‥
しかし、また朝になり目を覚ませば不安の世界にイチエさんは戻る。
私たちはこの不安でたまらない心と世界をどれだけ理解できているだろうか?
誰も絶対理解できない。
本人、当事者ではないから。
理解している、支えていると言う奢りを捨て私が「支える」支援とは何なのか改めて考えたい。