長崎新聞 コラム-「水や空」 から皆様にご紹介です。
<尾身さんの謝罪>
なぜ、謝ることになったのだろうか、と事の意外な顚末(てんまつ)に首をかしげている。先日この欄で触れた尾身茂・政府新型コロナ対策分科会長の「人流抑制より人数制限」発言。「専門家の使命感が言わせたのだろう」と好意的に解釈していたが
先日この欄で触れた尾身茂・政府新型コロナ対策分科会長の「人流抑制より人数制限」発言。
全国知事会長に「ご迷惑を掛けた」と語ったらしい。
知事サイドからは「困惑している」「政府と擦り合わせを」などの声が上がった。だが、政府や自治体の施策と矛盾しない発言だけが許されるのなら、研究者や専門家が参画する意味などあるまい
真意を測りかねる、と言うのなら、もっと丁寧な説明を重ねて要求すればよかった。「意味が分からない」「すみませんでした」で終わってしまったら、深まるはずの議論も深まらない
中略
演出家の鴻上尚史さんが「コミュニケーション能力」について「物事が揉めた時に何とかできる能力」と定義していたのを思い出す。誰とでも友達になれるとか、簡単に人間関係を築けるとか、ではなくて
一見イレギュラーな見解とどのように向き合えるか-いろんな人々の“コミュ能”がさまざまに試され続けている。
「なかよしクラブ」に心地よさを求めることを否定するわけではありません。
「なかよしクラブ」は居心地がきっと良い…
丸く丸く話をまとめることも否定はしません。
「物事が揉めた時に何とかできる能力」
話が合わない…ほんとにそうですか?
人の話に合わせる…それっていいこと?
笑って当たり障りのない話で場を済ませる人…まあ、はたから見たら付き合いやすい人?…しかし、信頼はできんですねぇ。
「物事が揉めた時に何とかできる能力」
その能力…「物事が揉めた時に何とかできる能力」が発揮できる信頼関係こそ組織の底力になり得ると思います。
目の前の課題に向き合い、一緒に議論できる信頼関係…決して足の引っ張り合いではなく、逃げでもなく…。
コロナは人の命を奪うだけでなく、人の心までも蝕んでいるように思います。
ご紹介したコラムと合わせて是非読んで頂きたい記事です。
和敬会でも「濃厚接触」事態がありました。
その都度外部の関係者、お世話になっている事業所の方々にはご理解、ご協力を頂きました。
この場をおかりしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
皆様の〝コミュ能〟のお陰です。
「物事が揉めた時に何とかできる能力」
身に付けたいですね、