タツミさんは有り余った力のせいでひまわりの中を端から端まで行ったり来たり…それでも満足いかず、ある日駐車場へ飛び出し「歩く‼️」と。
見かねたスタッフが散歩に連れ出してくれました。
ここまでは先日のブログでご紹介したしましたね。
「駐車場で散歩したい‼️」って言ってみて‼️と終わったところでしたが…その後。
歩きはじめてました。
デイほたるのスタッフがメニューを作ってくれました。
ただ歩けばいい…ではないんですね。歩けば満足するさぁ…ではなくて「歩きたい❗」という彼のモチベーションをうまく使って「身体機能向上」に繋げようという試みです。
運動しなきゃダメ‼️
えっ?何のため?
え〰️運動するの嫌だ〰️。
日課に「運動」を入れるのはたやすい。それがここの決まりです…とすればなんとなくやって決められた日課は過ぎて行きます。
確かに、歩く体力は大事です。しかし、誰にとって大事なんでしょう?タツミさんにとって大事?
でもひまわりに入所してるんだもん、車椅子になっても生活できるし❗
歩くことは彼にとって何の意味があるのか?
先日の敬老会でタツミさんは「俺は敬老じゃない」とお怒りになりお祝いの色紙を受け取りませんでした。
ご病気で発語ができません。また、記憶障害があります。ご本人はしっかり自覚されているので、彼にとって困りごとです。
そんなタツミさんにとって「歩ける」ことにはどんな意味があるのか?
デイサービスほたるこころの掲示板です。今回もありがとうございました。
言葉かけは難しいと思います。傷つけたつもりはないけれど、相手にはとてもショックだったてなことはよくある話。
だから「考えねば」ならないのだと思います。今どんな言葉が必要が、どんな言葉を求めているのか、どんな言葉を発したら相手は笑ってくれるか、納得してくれるか…。
私たちの支援は「やってあげること」ではないといつも考えます。
足りないところを手伝うことは「やってあげる」のではなく私たちが出きることで手助けしてるだけのこと。自ら健常者と名乗る私たちも実はたくさん手助けを受けているし、やってあげるねって言われている。
だから「やってあげよる」はあり得ないしもちろん「やらんばいかんとでしょ」もない。
手助けの裏には必ず残存機能の維持と自立支援、入居者の自己実現があります。
タツミさんは歩きたい❗を実現したかった…きっとそう、歩けること、体力がつくことは彼のプライドであり、生きていること自体の自信になるはず。
ここでもし、駐車場に出たらダメ、歩き回ったらダメ、デイで体操してるからいいでしょ❗ってなことになったら…
どうでしょう?確かにひまわりは老人施設であり、車椅子の方、寝たきりに近い方もおられます。
タツミさんが今より体力が落ちても、たとえ車椅子になってもひまわりで生活できる。
しかし、スタッフの言葉かけは「ダメ」でもなく「運動せんばやろ‼️」でもなく、運動のメニュー作りといかに安全かつやった感(達成感)と運動やってます感の工夫でした。
以前ブログで、「◯◯するよ」ではなく、「◯◯どうする?」と問いかけたいとお伝えしたことがありました。そこには当事者に決定権があるということ。
行動に出きること、できないこと、できるはずなのにしないこと…ひとりひとり違います。
だから、入居者をよく理解しなくてはいけないし、なんと声をかけたらいいか考えなくてはいけない。
タツミさんの「歩きたい❗」を「ダメ」「危ない❗」というリスクのある行動としてとらえず、タツミさんの気持ち、望む行動としてとらえたことで次のステップに進むことができました。
このタツミさんの表情とVサインはタツミさんの心と生活への希望、充実感を物語っているようです。少なくとも敬老会で見せた「俺は敬老じゃない‼️」の怒りは見えません。
歩きたくて外へ飛び出したタツミさんの行動をどうとらえるか、どう支援するかでタツミさんの表情と日々の生活は全く違うものになりました。
タツミさん、キャピキャピスタッフのムチの声に負けることなく、ご自分の心を全うしてくださいね。
そんでもって、このお腹ちっちゃくなるといいねぇ~。