以前「ハレとケ」についてブログを書いたことがある。
柳田國男が民俗学の立場から日本人の生活様式を唱えた概念である。
「ケ」が減ってしまうことを「け枯れ」というらしい。「ケガレ」そこで日本人は神仏に手を合わせる訳だが、つまり「ケ」つまり日常は大事なんだ。
私たちが支援する入居者の方々の生活にある日常、非日常はどうだろう。
風の丘の皆さんの日常です。
私たちは毎日心臓が止まらない限り生き続けている。
ぼーっと何もしない、何も考えていない瞬間があるだろうか。寝ている時以外。
認知症による理解できない行動を奇妙な行動と言ったスタッフがいたが果たしてそうなのか。
ご本人にしてみれば意味のある行動であること。
認知症により私たちとは違った見え方をしていたり。
認知症があっても長年やってきたことならいまでもできること。
できないこともあるけれどできることもあること。
奇妙に見えるのはおひとりお一人を理解していないから。
これまで生きてこられた人生を知ればわかるはず。
できないことを見つけることよりもできること探し。できたことの喜びは認知症に罹患しても私たちと何ら変わらない。
そう、非日常よりも毎日、毎日の何気ない「ケ」の生活に喜びがありHappyが詰まっている。
想像して欲しい・・この奇妙に見える行動は何をいみするのか?何のつもりなのか?
想像して欲しい・・何が楽しいことなんだろう、若い頃何を楽しみにしていたんだろ?
想像して欲しい・・ご家族とどんな生活していたんだろう、家、家族への思いは?
挑戦して欲しい・・失敗して元々、声をかけて話してみて、誘ってみて、やって見せて・・たとえ想像したこと、予測したこと違っていても、誘いにのらなくても構わない。
誰かが自分のことを気がけてくれる人がいて、向き合ってくれる人がいる、今を生きている人と認めてくれる人がいることが大切だから。
毎日の「ケ」の中にたくさんHappyが詰まっている。