令和5年10月7日 生活は中間(あいだ)にある。

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明日の朝食、味噌汁作り

 ある日の夜、キヨノさんは味噌汁作りを手伝ってくださいました。

 「玉ねぎ切って。」

 とお願いしただけ。しかし、キヨ丿さんは躊躇も     なく玉ねぎを切り始めた。

朝食のご飯をついで頂きました。

 ヒサエさん、「おかあさん、みんなのご飯をついでください。」

 これまた躊躇どころか、見事均等につぎ分けてくださいました。

つぎ分けたおかずを配膳するキヨノさん

 つぎ分けたおかずをお盆にのせてください、そうキヨ丿さんに頼みました。

 しかし、ちょっと戸惑いました。

 そこへ助っ人ハルノさん、「お盆にいっちょずつのせんね」

 ありがとうございます❗ハルノさん❗記憶は確かです。

 

 朝食にもやしの胡麻和え、ヒゲ取りをお願いしました。

 「これば取ったらよかとやろ?」

 そうそう、皆さんしっかりわかっておられます。これまた記憶はしっかりありました。

ヒデノブさん、きゅうりをスライス。

 きゅうりのスライスをヒサエさんにお願いしたらお断りされてしまいました。

 それを見ていた御主人のヒデノブさん、

 「おいがすっけん❗」

 順調に切り始めるまで試行錯誤タイムがありましたが、切り出すと順調、バッチリです。

 お父さん、手付き言いですねー

 「みとったけんねー、するとば」

 ヒサエさんのやってるのいつも見ていたそうです。

 朝の身支度でひげ剃り。男性は毎日のルーティン。当たり前の日常ですよね。お仕事行く前の身だしなみ。

 ひげ剃りするよー、とひげ剃りをお渡しするとなんの戸惑いもなくひげを剃りはじめました。

  きっと毎日のお仕事に行く前ひげを剃っていたんでしょうね。「鼻の下伸ばしてねー」にもしっかりこたえて頂きました。

ヒロコさんのお部屋に佇む椅子

 ヒロコさんのお部屋に素敵などう見ても手作りの椅子。「座ってみて」とヒロコさん。遠慮なく座らせて頂きました。

 とっても座り心地がいい。デイサービスに行く時この椅子に座ってお迎えを待っていたそうです。

 きっとご家族はここ(風の丘)に来てもご自宅て過ごしたようにこの椅子に座って欲しい‥‥そう思っておられるにちがいない。ご自宅での生活の記憶とともに。

 「昔はよー濡れ縁に座って近所のもんと喋っとった」

 そう、昔の日本家屋には濡れ縁があった。

 近所の人と世間話。玄関でなくて濡れ縁から声をかけられたり。日本家屋にある濡れ縁は自宅の社交場だった。自宅での生活の記憶。

 

 お買い物のまねごと‥‥かもしれないけれど自分で「選ぶ」自由があることを忘れて頂きたくない。

 毎日買い物はお連れできない。この駄菓子屋で昔お小遣いを握り駄菓子を買いに行った記憶、食べたいもの選んでいた記憶‥‥食べたい物を握っていいんだという記憶を忘れて欲しくない。

出典:イヴ・ジネストほか 家族のためのユマニチュード(誠文堂新光社)より

 長期にわたり比較的残りやすいと言われる長期記憶。まだまだ残っている記憶を日常の生活の中に取り入れ保ち続けて頂きたい。

 それは決して「レクリエーション」ではなく「生活」「日課」でありお楽しみ会ではない。

 承認欲求を満たすために手続き記憶をうまく引き出し、取り組みの中で感情記憶に働きかけスタッフとの信頼関係を構築する。

 決してどれも単独で活かされるものではなく、連動しあっている。

 「自宅でない在宅 高齢者の生活空間論」の中で外山義先生は「生活は、中間(あいだ)にある」と言われてます。

 建築家である外山先生は「箱のあり方」ではなくハードがケアにもたらす影響だけでなく、生活そのものについてものべられています。

 日々三大介護(入浴、排泄、食事)を中心に回る日常の中間(あいだ)にある生活こそ必要なケアであり人間らしい生活であると。

 決して食堂の決まった椅子、定位置(スタッフに決められた座席)に座って過ごす日々ではないと。

 さあ、明日からまた黒子になり仕掛け作りです。私たちの当たり前の日常で私たちのケアの場に足りない日常を探しましょう。

 きっとそこに中間(あいだ)の生活があるはず。

自宅でない在宅―高齢者の生活空間論 https://amzn.asia/d/8tXbIoB

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