天勾践を空しゅうすること莫れ時に氾蠡無きにしも非ず
後醍醐天皇が隠岐島へ島流しにされる際、児島高徳が桜の幹に書いた詞。
この詩句をイザブさんは空でよく詠まれます。
天は勾践(イザブさん)を見捨てない。時が来れば、氾蠡のような忠臣が来て(イザブさんをひまわりから)助け出してくれる。
と詠みたいのでしょうか。
ある日、デイサービスが終わりデイルームに誰もいなくなってからのこと。
いつの間にかイザブさん、お一人デイルームで新聞を広げておられました。
散髪を済ませ素敵なおじいちゃんになりました。若くなりましたねぇ。
いいねぇ、若くなったねぇ。
そう言いながらカメラを向けると、穏やかに、微笑みながら、手は照れ?
写真を撮らせて頂きました。
ひまわりに来られた当初は、やんちゃでおばちゃんスタッフといつもケンカ。
今では、寝てるか…ご自分の場所探さししてるか?
入所当時の勢いが無くなったイザブさんは少々物足りなく感じます。
ひまわりで過ごすことに観念されたのか?
児島高徳の詩句にご自分の心境を写し、助けてくれる忠臣を待っておられるのか?
イザブさん、ここまできたら歳は関係ないですからねぇ。
満足行くまでひまわりでもうひと暴れやっちゃって下さい❗
天勾践を空しゅうすること莫れ時に范蠡無きにしも非ず(テンコウセンヲムナシュウスルコトナカレトキニハンレイナキニシモアラズ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
デジタル大辞泉 - 天勾践を空しゅうすること莫れ時に范蠡無きにしも非ずの用語解説 - 《勾践は中国春秋時代の越の王。范蠡は呉に敗れた勾践を助け、呉を滅した忠臣》天は勾践を見捨てない、時がくれば范蠡のような忠臣が出て助けてくれる。南北朝時代、児島高徳こじまたかのりが捕らわれの後醍醐天皇に、自分の志を示すため桜の...