ここから見る朝陽は絶対美しい❗期待通りの東の空でした!
1988年、南アフリカでのアパルトヘイトからの黒人解放運動を描いた映画『遠い夜明け』を皆さんご存知ですか?
当時はまだまだ、解放には遠くこの映画の作成、公開にも圧力がかかったと言います。
それが1994年、長年収監されてきたネルソン=マンデラによりアパルトヘイトは撤廃され国民は解放されました。
翌年、自国でのラグビーワールドカップ開催と大会出場と優勝を果たします。優勝トロフィーをネルソン=マンデラが白人キャプテンに渡すシーンは歴史的瞬間だったとおもいます。
先日盛り上がったラグビー ワールドカップ、優勝は南アフリカ共和国。
更に今年の大会はキャプテンが黒人であったこと、国がひとつになる…まだまだ、人種差別が残っていると言われますが、優勝はこの先の国の行く末に希望をもたらしたことでしょう。
昨日まで当たり前だったことが当たり前でなくなる…
アパルトヘイトが撤廃されるまでアパルトヘイトの象徴だったラグビーを国民がひとつになり応援するなんてあり得なかった…
白人と非白人が手を取り合い、肩を組み喜びを分かち合える。
昨日まで当たり前だったことが当たり前でなくなる瞬間です。
私たちの日常には当たり前と思っていることが山のようにあります。
当たり前は「当たり前」だから気にならない。
しかし、「当たり前」がケアの「根拠」になってないだろうか?
風呂に入れるのは「当たり前」だから羽交い締めにしてでもお風呂に入れる。
汚れたパンツを取り換えるのは「当たり前」だから、暴れようが脱がす。
食事を摂ることは「当たり前」だから口に突っ込む。
まさに虐待です。やってる当人にすれば根拠があるのかもしれない。おそらくその根拠とは「当たり前」ではないでしょうか?もしくは、「業務遂行」。
ひと昔前、介護は「風呂、飯、糞」という言葉で仕事を表現されてきました。認知症は「呆け」という言葉でした。何もわからん年寄り。
何故、風呂を嫌がる?
元々お風呂が嫌い?
心臓疾患なかったっけ?
心臓疾患なくてもお年寄りにはお風呂は負担だよね。温まり血流がよくなると心臓には負担だよね。
きっとお風呂はしんどいんだ!
でも…お風呂は気持ちいい!って思ってもらえないかなぁ?
おしっこで汚れてる、汗もかいた…
「お風呂はきつかぁ…でもおしりばきれいにしてもらえるなら入ろうか…」
「あん人なら、裸見られてもよかたい!」
そう言って頂く、言って頂けるようになりたい。そう言って頂くために私たちはどう関わったらいい?
だって、羽交い締め、力づくで良いなら体格のいい男性スタッフを連れてくれば良いこと。まるで、20年前の精神科の閉鎖病棟です。
『北風と太陽』です。どうしたら旅人の服を脱がすことができるか?
ただ、ひとつ不思議に思うことがあります。
同じ認知症があり、「入浴拒否」。だけど力ずくで入れられる方と、ご本人の入りたくないという意思を尊重?してか入れない方とおられます。
その違いってなに?
「当たり前」を日々「ほんと?」と振り返りたい…
自分がされて嫌なことはきっと相手も嫌なはず。だから自分がされて嫌なことは相手にしない。子供の頃親に教えられた「当たり前」
南アフリカの優勝は私たち日本人には理解し難い価値を、南アフリカ国民に…人類の歴史に生んだ。
国がひとつになる…ラグビーを通して。
スタッフがひとつになる…何を通してだろう…うそっ!…言葉が出らん…
私の「当たり前」は…一仕事ごとに一服…ダメ…?
さて、最初に戻って…
朝陽…「ここは」どこでしょう⁉️