私の大好きな夜景、夜の姿が大好きです。下道で帰宅する時は必ず眺めながら帰ります。ほんと美しいですよ。人工物の美といつも思います。
このビルが見えて前を通り過ぎながら「あ~帰って来たぁ〰️」って感じます。
私の日常です。
皆さんにも日常はあるはず。当たり前で気付かないことがたくさんあるはず。
コロナできっと以前の日常が変わっていますよね。
日常が変わる、明日から何もかも変わる…想像できますか?
ひまわりに居られる方々の日常はどうだったんだろう…と考えます。
アセスメントの一部分ではありますが入所前の生活を知ることは大切です。
しかしながら、できるだけ以前の生活を…せめて一部分でも…とは程遠いのが現状です。
施設入所には「管理」という言葉がついてきます。
管理上…よく使いますねぇ〰️都合のいい言葉です。
以前ご紹介した外山義先生の書かれた「クリッパンの老人たち」 から
…衣食住それぞれの要素(エレメント)を拾い上げてみると、私たちが日常生活でごくあたりまえにしている内容が、施設老人たちの生活内容からは抜け落ちたままで日常的に繰り返えされていることが明白になる…
加えて、外山先生は私たちについても非日常を「非常事態宣言」と言う言葉で表現…
…さまざまな非常事態宣言が発せられているように思われる。たとえば、「受験戦争」「単身赴任」「残業」…。
…そのとき、私たちは、ある特定の事柄の実現のために、自分自身の、そして家族の、小さなしかし実はとても大切な生活の中味を、リズムを犠牲にしてしまっているのだと思う。
そんな状況が長く続いてゆくとき、たとえ非常事態宣言の到達目標は達せられても、自分自身の、家族の、そしておそらく社会全体のかけがえのないnormalityが蝕まれてしまっているのではないだろうか。
「非常事態宣言」…今で言う「コロナ禍」ですよね。
入居者にとっては施設入所は「非常事態宣言」…その生活は決して一時的なものではなく多くが最期まで続くのです。
先日ひまわり・ほたるではおやつレクがありました
また、春のご馳走ツワの皮むきを皆さんでして頂きました。
きっと在宅にいた頃は日常だったよね…美味しいものを作ること、出来上がる時の匂い。春にツワを採って、皮をむいて湯がいて調理して…
まだまだです。施設の管理に慣らされた生活が人生最期の日常になってほしくない。
一昨年植えたツワが今年は収穫できそうです。
ツワ採り、アジサイ、水仙、ふき、熊笹…まだまだひまわりの裏道は賑やかになる予定…お部屋から眺める窓には一枚の絵のように四季折々の木々に花。
また、木々の間を散歩できる小路を。
在宅生活の頃の日常はもう取り戻せない…入居者の覚悟にこたえるべく、私たちは管理のもと慣らして行くのではなく、限りなく求められる日常に近づけるよう努力が必要と思うのです。
スタッフの皆さんありがとうございました。ツワは翌日の食卓に並びました。皆さん春の香りを味わって頂いたことと思います。