今日、入居者様より相談を頂きました。
想いを寄せる彼女とお互い気遣い合うものの、行き違いがあったようです。
よくありますよね、良かれと思ってしたことが、相手に伝わらなかった…。
堂々巡りの最後に彼女から「ごめんね。許して、仲直りしよう」と手を握ってこられました。
翌朝伺うと仲直りされたようでした。
「老いらくの恋」
皆さんはどう考えますか?
「墓場に近き、老いらくの 恋は怖るる何もなし」 川田順
老いらくの恋の語源と言われる恋歌です。興味がある方はしたのサイトを開いて見てください。
以前もご紹介したJAF Mateのリレーエッセイ「幸せってなんだろう」今回は「会うよろこび」です。
コロナ禍ではテレワーク、SNS…オンラインによる「つながり」が増えました。これも生活様式の変化でしょうか。
しかし、記事にご紹介せれている山極寿一先生は
人間の五感はオンラインだけで相手を信頼しないようにできている
さらには、
人間は脳だけで「つながった」と錯覚するが、実際には信頼関係は担保できていない
と言われています。
私は仕事柄、人と話すことが多い。しかし、電話は大の苦手、ましてやメールやチャットとなるとなおさら。
相手と同じ空間、目線(視線)、触れる、空間の匂い、時には一緒に食事…正に五感を使ってはじめて会話が成立すると考えて来ました。
今日も苦手な方と面談、今日のお仕事にこの2ヶ月頭を抱えて来たんですが、それでも電話では済ませたくない、会わないと❗
お会いできて良かった❗窓から顔を出して頂き「ありがとうね❗」のお言葉をgetです。
たとえ、社交辞令でもガチガチになった心臓は柔らかくなりました。
山極先生は対談の中で「脳の容量と人間が記憶できる顔の数 」についても述べられています。
人間の進化の過程において脳の容量が増えて記憶できる人の数も増えた。
その数は150、それは「単に名前を覚えているのではなく、過去に身体感覚を共有した人の数」だそうです。
グループホームやユニットケアができて9人や10人という単位は認知症により脳の容量が小さくなることからはじきだされた数なのでしょうか?
以前勤めていた法人の施設スタッフがユニットケアの導入に「家庭的な雰囲気」って何ですか❗と泣きながら悩んでいたことを思い出します。
ひまわりには27名の方々が入所されています。
ひまわりの入居者の多くは認知症を抱えておられます。
一見お互いのコミュニケーションがとれていない、会話がないもしくは会話が成立していない、家庭的な雰囲気どころじゃないと思われがちですが、決してそんなことはない。
全く気にしていないと思われたお隣さんの行動を心配していたり、お食事の世話を焼いたり。
老いらくの恋も五感を使ってひまわりでの生活で共有できる日々の生活体験から生まれた…
認知症により上手くコミュニケーションがとれなくても、同じ空間、時間の中でめいいっぱい五感を使い「共有できないはずの感覚」をともに体験している仲間と思います。
社会と閉ざされた施設の中でひとりぼっちじゃない、家族ではない信頼できる仲間と生活している…そんな感覚が安心とやすらぎを生み出すといいなあ…と思います。
それは入居者だけでなく私たちスタッフも同様、チームになるには五感を使って顔を付き合わせてはじめて信頼関係が生まれる。決して「群れ」ではない。
山極先生の対談もJAFMateのエッセイもコロナ禍の今だからこそ人との関係をあらためて考えてさせられる内容です。
サイトをご紹介します。是非お読み下さい。